恋するカレン <大瀧詠一COVER(AI MIX VER)>
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作品情報
| ジャンル | ポップス |
|---|---|
| 参加形態 | 単独 |
| 公開 |
作品紹介
★5・18 ライナー更新。ボーカルを2track再録音して、リミックスしました (。・ω・。)ノ♡
☆彡 アイゾトープ社の「MUSIC MAKER BANDLE」(原価10万円弱相当)が今セールで約〇〇パーセントOFF(さあいくらだと思いますか?聞いてびっくりですぞ。(。・ω・。)ノ♡コロナのため、ミュージシャンを支援するためとか)というありがたい企画で、さっそくダウンロードしてました。
OZONE9 ELEMENTもついていたのですが、マスタリング=OZON8 stanndardを持っているので、AI 人口知能 プラグインソフト
ボーカル処理=NECTER 3 ELEMENT ミックス処理=NEWTRON3 ELEMENT を使って、憧れだった大滝詠一さんの曲を歌ってみました。
大瀧さんのアルバム「LONG VACATION」は大好きで若い頃からずっと聞いていて、ドライブのおともや仕事のBGMとして聞いていたぐらいです。
以下のソフトのELEMENTは、一番下のグレードですが、英語表記だけ気にならないのなら、断然お勧めです。
NECTER 3 はボーカル処理のソフトで、メロダインはピッチ修正ができますが、それも含めて、キモイよーい音にしてくれます。でも、
歌が急に上手くなるわけではないので、ご注意を(( ;∀;)
NECTER 3が一番、感動しました(。・ω・。)ノ♡
楽器の特性を聞いて、学習して、本物の生楽器のような音に変換します。ロック系ラテン系などの曲をMIDIで再現しようとすると、WAVE音源ではないとしょぼいから、今まで手を出さないできましたが、このソフトを使うと、グルーブ感がぐぐっと増大します。この曲はドラム、ベース、ストリングス、ピアノなどが主体ですが、聞いててほれぼれするくらいでしたよ。
解説@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
大瀧さんは、岩手県奥州市江刺の出身で、釜石南高校卒業後、早稲田大学進学、その後、音楽の道に進みました。
1979年からはプロデュース業を手掛け、翌1980年にプロデュースの仕事で出入りすることが多かったCBSソニーに移籍。旧友である松本隆と組んで、ナイアガラサウンドの集大成となる作品のレコーディングに取り掛かる。このレコーディングの最中に、女性向きと考えた「さらばシベリア鉄道」を太田裕美に提供。同曲は大瀧の曲で初めてのヒットシングルになった。
1981年3月に『A LONG VACATION』を発表。当初は売り上げが低迷していたが、徐々にセールスを伸ばし、夏にはチャート2位を記録。「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞した。1983年まで精力的に楽曲提供・プロデュースを続け、松本とコンビでの松田聖子の シングル『風立ちぬ』で初のチャート1位を記録。うなずきトリオのシングル「うなずきマーチ」では大滝作詞曲で初のチャート入りを果たすなど、多くのアイドルソング・コミックソングなどを手掛け一躍名声が高まる。また森進一の『冬のリヴィエラ』や小林旭の『熱き心に』など演歌系のジャンルにも進出を果たす。
しかし、独自の音楽理論を構築していったことなどが影響し、オリジナル作品をコンスタントに発表していく意味を見いだせなくなっていき、1984年のアルバム『EACH TIME』制作時に歌手活動の休止を決断。1985年6月のはっぴいえんど再結成ライブを最後に人前で歌うことはほとんどなくなり、同年11月にシングルカットした「フィヨルドの少女」を最後に新譜の発表は長い間途絶えることになる。
「恋するカレン」はアルバム『A LONG VACATION』収録曲。カップリングに収録された「雨のウェンズデイ」が翌年、タイトル・トラックとして再シングル・カットされた際、カップリングで再収録された。この曲は大滝がスラップスティックに提供した「海辺のジュリエット」を、松本隆書き下ろしの新たな詩とサビのパートを追加してセルフカバーしたものである。
この曲は「君は天然色」と同じく一発録りだが、アコースティック・ギターやパーカッション、ピアノなどが何層にもダビングされているという。大滝詠一によれば「ベースはウッド・ベースとDANELECTROベースを絡めるというテクニックを使いました。良いオーディオ・システムで聴いてみると分かるでしょう。弦は松任谷君で、どこにどんな感じのフレーズが欲しいかを細かく説明したものを元に譜面に起してもらいました」と答えている。
サビ、とりわけ2回目で強い印象を与える大滝自身による多重コーラスについては「この曲は『ロンバケ』で唯一マルチをシンクロさせました。おかげでたっぷりコーラスにトラックを使うことができましたね。ダビング中はスレーブ・マルチだけで作業します。完成したら(CBSソニー信濃町スタジオ)Bstでスレーブを回してコーラス部だけ卓でミックス。その2ミックスをケーブル直引きで隣のAstに持ってきて同期並走するマスター・マルチの2trに戻しました。なので、ミックス時には24trマルチ1本なのです」とし、アレンジはあらかじめ譜面に細かく書かれていたわけではなく、頭の中にあるイメージを元に現場で作り込んでいったのだという。
その一方で、ヴォーカルの出来に納得がいかず、一時はお蔵入りも覚悟したという。その理由については「何せオケを作ってコーラスまで分厚く作りこんでありましたからね。カラオケができた段階で“どうだ、ザマーミロイっ! これで文句はあるまい!”って勝利宣言したのはいいんだけれど、いざ歌入れしてみたらあまりに豪華なバックに負けちゃうんですよ、歌が。だもんで、ホントやめちゃおうかなと思ったり」としている。
65歳という若さで、死去(りんごを喉につまらせたとか)
杉山 桃子コメント(8)
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