ここは牢ではなかったのだろうか。
すでに体全体を開き降伏の意を示した扉の、その隙間を覗き込んでみる。人は……いない。
だが、他の部屋の様子がこことは違う。外に見えるのは、いわゆる鉄格子の牢だった。
やはり、ここは牢で間違いない。しかし、僕だけなぜ、こんな妙な部屋に監禁されていたんだ。
いや、待てよ。監禁……?
だがそれにしては、手足は縛られていなかった。猿ぐつわもない。
後者は、騒いでも問題ない場所だからという考え方もできるが、鉄格子の牢でもなく、
堅いとはいえ、この環境のせいで朽ちつつあった部屋に閉じ込めるなら、手足が自由だったのは
一体どういうことだ。
敢えて、わざわざここから僕を逃がすメリットは、ここの連中にはないだろう。
僕を“処分”したければ、いつでも好きな時に、そうできるはずなのだから。
と……詮索は後回しだな。
せっかく痛い目にあってまでも、この扉を開けられたのだから。
ならば、前向きに考えてみよう。そして、できることなら一刻も早くここから逃げ出さなければ。
ひとまず足や腕の痛みを忘れ立ちあがると、誰かの気配がないか警戒しながら出口らしき階段の
ほうへと進んでいく。
その途中にまた一つ、他の牢獄とは雰囲気の違う部屋があった。部屋には覗き窓がついている。
僕はその窓の枠の端から、こちらの姿が見えないように、中の様子をうかがってみる。
……どうやら人の気配はするのだが、奥の暗い場所にいるためか、顔がまったく分からない。
声をかけるかどうか逡巡したが、ここは地下牢。部屋の主が凶悪な犯罪者である可能性もある。
そう思うととても声をかける気にはなれなかった。
せめて何者なのかだけ確認しようと、しつこくこっそりと覗きこんでみたが、結局、部屋の主を
見ることは叶わなかった。
――僕も、こうしていつまでもここに留まっているわけにはいかない。
中にいるのが誰なのかも分からない部屋を気にしながら、出口に向かう階段へと急ごうとした。
そのとき、かなり弱々しい声ではあったが、確かに聴き覚えのある、哀しい旋律が聴こえてきた。
あれは……あの晩に聴いた彼女の。
……まさか――!?
「アウラ……っ!」
僕はもう一度、その部屋に駆け寄ると、扉の覗き窓に張りつき、彼女の名前を何度も呼んだ。
分厚そうな扉だが、どうやら、声は届いたようだ。
僕の声に反応してか、声の主がふらつくような足取りで、辛うじて光の射す場所まで歩いてきた。
「あなた……ロキ?」
それは間違いなく、アウラだった。
だが、陽も射さず、あげく、灯りすらまともにない暗い地下牢に閉じ込められているせいか、
あの晩からほんの数日間しか経っていないというのに、前に出会った時の美しい面影はすっかり
なりを潜め、ひどくやつれて見えた。
だが、この動揺を見せてはいけない。そう感じた僕は、以前会った時のように振舞ってみせた。
「あぁ、そうだよ。でもどうして君までここに――」
と言いかけてから、僕の脳裏に当主……ジジイの言葉がよみがえってくる。
“ちぃと暗いところで反省をさせておる”
くそ……、こういうことだったのかよ。あの変態野郎、どこまで腐りきっていやがる。
ここから出たら、殴り込みでもかけてやりたいところだが……どうせまた取り押さえられて、
いや、今度は即刻“処分”されるのがオチだろう。
とにかく、今はあの外道なんか気にしている場合じゃない、アウラだ。
「……そうか、こういう意味だったのか。なぁ、大丈夫なのか、アウラ!」
「凄い音がしていたけど、あれは……」
「あ、あぁ、怖がらせたのならすまない、あれは僕だ。どうしてもここから抜け出さなくちゃ
いけなくてね」
「すごい怪我、それに腕の血……どうしたの」
「これ、か。捕まった時と、抜け出す時に色々とあって。まぁ……まだ生きてる証拠、かな」
「……」
「……ごめん、ふざけたつもりはないんだけど、悪い冗談だったかな。そんな顔しないでくれ」
「だいじょうぶ、なの?」
「あぁ、ありがとう、僕は頑丈なのが取り柄だから。それよりも君は大丈夫なのか?」
「……生きてる」
「そう、みたいだな。とりあえずは安心したよ。でも、その……聞いたよ、君がしたことを」
「……そう」
「なぁ、君があんなことをしたのは僕――」
「自分で決めたことだから」
僕の声を断ち切るように遮ってめずらしくきっぱりとした口調でそう言い切るものだから、
僕は、その言葉の続きも、次の言葉も見失ってしまい、つい黙りこんでしまった。
こんな薄明りの中でも、哀しげな顔だとはっきり分かるのに、それでも彼女は涙を流さない。
まだほんの数回しか会っていないが、数日前に、自分の過去や境遇を、まるで他人事のように
淡々と話していた時にも、今と同じく哀しげな顔を浮かべながら、それでも涙は流さなかった。
「……でも」
「誰かに強いられてじゃなく、一度でもそうできて、よかった」
「そんな!まるでもう二度とできないみたいな言い方……するなって」
「……」
「今は君を助けようにも用意がない。だから、少し準備をしてこようと思うんだ」
「でも、この前は……」
「あぁ。言いたいことは分かってる。確かに、逃げるのは無理だと言ったのは僕だ。
だけど……君が脱走しようとしたと聞いて、どうしてって何度も考えた。君がそうした理由が
気になった。僕が臆病なばかりに君の手を拒んだから、そのせいなんじゃないかって思って
……後悔した」
「……」
「いまさら僕が言えたことじゃないんだけど……大事なのはできるかどうかじゃなくて、
そうしたいかどうかだった、と思う」
「……」
「……だからさ。とにかく必ずここに戻ってくるから、それまでは頑張るんだ、いいね」
「もう、いい」
「あ……」
「もう、頑張るの…………つかれた」
弱々しく吐き出された彼女のその言葉が、胸をキリキリと締めつける。哀しかった。
おそらく、幼い頃から涙を捨て、感情を殺し、それこそ人形のように生きることで、
どうにか形だけでも自分を保ってきたのだろう。
それでもなお、彼女は人として生きたいと願い、僕に向かって、何度も手を差し出してきた。
それなのに、その彼女を何度も哀しませ、絶望させたのは僕なのだ。
四年前も、そして数日前のあの晩も。いや、僕はもっと、あの手を振り払ったのかもしれない。
そして、おそらくあの晩、僕に再び出会ってしまったばかりに、彼女は脱走を図って失敗し、
こんな場所に閉じ込められ、ついには生きることに絶望するようになった。――だとしたら。
もう、僕にできることも、言えることもないのかもしれない。
それでも。それでも……。
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