Ⅳ(「合唱のためのコンポジション第10番 オンゴー・オーニ」より)
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作品情報
| ジャンル | クラシック |
|---|---|
| 参加形態 | 単独 |
| 公開 |
作品紹介
Ⅲ(http://musictrack.jp/musics/17110)に引き続き、同じく「合唱のためのコンポジション第10番 オンゴー・オーニ」よりⅣ。この曲(第4曲)は、作曲家自身の言葉によれば「陶酔」。ピアノコンチェルトばりにコーラスとのアンサンブルを絡めるピアノパートであったわけだが、自分の(現在40歳までの)、7歳でピアノの発表会に出演して以来、打鍵ミスなどの演奏のほころびがほぼ皆無の、おそらく唯一の録音物(ライヴ録音)になるようなステージとなった。観客のほとんどにとって初めて耳にする曲だったとおもう。この第4曲の演奏が終わり、通常合唱の舞台ではやらないのだが、自分は思わず立ち上がって、指揮のH君と握手をかわす。それを見た観客の多くが、それを合図のようにこの曲の演奏の終わりを知り、静かに湧き上がるように拍手が起こった。演奏会のアンケートをみて分かったことだが、作曲家・間宮芳生の従兄弟が当事仙台在住で、客席にいた。アンケートには楽曲への共感と理解の不足を指摘する厳しい言葉がならんでいた。そして、この録音は後年、宮城教育大学の音楽科の夏季集中講義の講師として招かれる、間宮芳生本人にも、聞いていだたくことができた。そこでは、なにぶん社交辞令的な意味合いも強かったとおもうのだが、「ピアノがいいね!」という言葉をいただくことができた。
音楽大学に進学できず、上京も果たせず、ピアニストを目指すならば条件として有利ということはおそらく何もない、地元教育大学に進学してのこと。高校時代に交流のあった、音楽大学に進学した諸先輩方とのつながりもいったんは切れ、自分の音楽家として夢見る将来に、展望を持つことが難しかったこともあわせて記しておきたい。(師匠も当時は、レッスンで指定した曲以外は勝手にやれ、という方針だった。)
こうなったら自画自賛も徹底しようとおもう。さらに続ける。もし地方演奏史という考えかたがあるなら、この演奏会、そして「オンゴー・オーニ」は、宮城県の演奏史に記されていいのではないか、と思う。
自分が芸大のピアノ科を受験したときは、今以上に首都圏と地方の文化格差が、あった。東北新幹線の開通の時自分は小学生だったとおもうがなんと、東北新幹線の最初の上り終着駅は「大宮」である。そして、昭和の時代、宮城県の高校から芸大のピアノ科を受験し進学した高校生は20年間近くいなかった時期すら、ある。
2010年今現在、宮城県も地元出身の優秀な音楽家が活発に活動するようになった。1990年は、地元出身の音楽家は今よりもずっと、層が薄かったと思う。地元に根差す、という意味においてはなおさら。優秀な人は、故郷に後足で砂をかけるように、出て行ってしまう印象が自分にはあった。自分が大学生だったとき、先の仙台国際で優勝し、ピアニストとしていままさに飛翔しはじめた仙台出身の津田裕也さんも、まだ小学生であろう。プロとアマチュアの差が大きいのは、相撲と将棋である、とかつて言われた。逆にアマチュアがプロに肉薄することがありえたのは合唱である。宮城教育大学は当事(現在は違う)、ポリシーとして合唱のコンクールの参加は見合わせ、演奏会でいい演奏をすることを何よりの活動の重心にしていた。そんな宮城教育大の1990年度の定期での「オンゴー・オーニ」は地元に根差した職業音楽科の活動が薄い時代、確実に地方音楽史をスポット的にせよ、名リリーフしたのではないか、と思う。
廣川 裕太コメント(0)
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