鳶色の瞳の弓子ちゃん 1985年夏
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作品情報
| ジャンル | ポップス |
|---|---|
| 参加形態 | 単独 |
| 公開 |
作品紹介
自作歌詞による久々のオリジナルです。ここ数年コロナ禍を始め国内外でいろんなことが起こりました。今自分は大きな時代の節目に立ち会っているなあと思い、若い頃からの時の流れを感じました。
そこで若かった頃の思い出として幼馴染の弓子ちゃんをモデルにした歌詞を書こうと思い立ちました。
弓子ちゃんと僕は同じ病院で生まれ、誕生日は2日違い。当時男の新生児で一番体重が軽かったのが僕で(2650g)女の新生児で一番軽かったのが弓子ちゃんでした。そこで母親同士が仲良くなり(今で言うママ友か)一緒に育ったのです。
幼稚園くらいまでは一緒にお風呂に入っていたし、小学校に上がってからも家族ぐるみで一緒に旅行に行ったりしてました。
やがて弓子ちゃんはJ践女子大学の附属高校に進学し、クールスの追っかけをやるようになりました。レコーディングスタジオにも呼ばれて遊びに行ったりして、すごいなあと思いました。小さい頃は不二家のペコちゃんみたいでしたが、大きくなると目鼻立ちがパッチリしてなかなかのべっぴんさんになりました。
そして大学に進んで僕が免許を取ってバイト代を貯めて中古車を買った頃(1985年の夏)、弓子ちゃんが家に遊びに来たので僕はある事を思いつきました。
当時僕は付き合っていたガールフレンドがいて、ドライブに誘おうと思っていたのですが、縦列駐車などにまだ自信がありませんでした。そこで自分の身近で最も気楽に緊張しないで済む同年代の女の子(すなわち弓子ちゃん)に練習に付き合ってもらって腕を上げようと思ったのです。
弓子ちゃんは快諾してくれ、昼間の空いてる大黒埠頭の駐車場で練習することになりました。弓子ちゃんは「あ、そういうクルマから身を乗り出して車間距離を確認するのはダサいね。教習所じゃないんだから。もっとこうバックミラーでクルマとの一体感を掴めるようにしないと」とか「あ、そういう後方確認のためにいきなり助手席のシートに手をまわすのは良くないよ。女の子は襲われると勘違いしちゃうから」などと愛あるダメ出しをしてくれました。
おかげで一通り駐車の仕方にも慣れ、本番のデートでも落ち着いてクルマを停めることができました。
そんな弓子ちゃんともお互いが結婚したころから段々連絡を取らなくなりました。今回歌詞を書くにあたっていろいろ調べたところ、数年前の舘ひろしのインタビュー記事をネットで見つけ、そこには「インタビュアー○○弓子」と書かれてありました。○○は弓子ちゃんの旧姓です。間違いありません。弓子ちゃんは今でもクールスの追っかけをやっているのです。
僕はなんだかうれしくなりました。そこで弓子ちゃんに感謝の気持ちを込めて歌詞を書きました。
今回ギターはG&Lドヒニー センターポジションをオレンジのアンプシュミレーターで鳴らしています。ベースはMODOBASS CUSTOM JAZZ BASSです。よろしければお聴きください。
小林 真綾コメント(14)
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