南国土佐を後にして- 兵士達に愛唱歌-
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作品情報
| ジャンル | 演歌 |
|---|---|
| 参加形態 | 単独 |
| 公開 |
作品紹介
老人ホームで毎年定期的に歌わさせて頂くようになり、戦前、戦中、戦後の歌を調べては、
この歌を歌えば、一緒に歌ってもらえるだろうか、…とか、喜んでもらえるだろうかと当時の歌を調べる機会が増えた。
歌詞を見て、また歌ってみて、なぜか違和感を覚える歌がある。
ネットで調べるとその理由がすぐにわかる歌もあるが、いくら調べても歌詞の中の違和感の理由がわからない時もある。
「南国土佐」を歌っていたペギー葉山さんは、今から3年前、2017年4月にお亡くなりになったそうだ。
葉山さんがブロードウエイで見たサウンドオブミュージックに感銘を受けて日本語歌詞を付けたドレミの歌や
自身の出身校である青山学園のことを歌った学生時代などは、老人ホームなどで、よく歌う歌のひとつだ。
「南国土佐」を歌ってみて違和感を感じた理由は、何年のわからないままだったが、ペギー葉山さんが亡くなった後に書かれた
『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(小学館刊・2017年7月発行)の紹介記事が週刊ポスト8月25日号に出ていた。
その内容を読んで、やっと違和感の原因が理解できた。
戦後しばらくはマッカーサー率いる米軍が日本を占領し、GHQにより厳しい検閲が行われていた。
この当時、戦前戦中の歌詞で「不適」なものは公開を許されず、歌詞の改変が行われた。
戦時中、子供のための戦時歌謡(戦争中は、戦争協力の形を取らないと作品が公開できない時代でもあったが)
として陸軍省選定の映画「馬」の主題歌として作られた「めんこい仔馬」は、戦後サトウハチロ-によって書き換えられ
童謡として生き残った。
戦死した子供を励ますための歌だった「お山の杉の子」は元々サトウハチローの詩だったが、戦後自身で書き換えて
戦後も生き残った。
出征兵士を見送る歌だった「兵隊さんの汽車」は戦後作詞者の手で書き換えられ、童謡「汽車ぽっぽ」として愛唱された。
終戦時、外地に取り残された約650万人の軍属・兵士の帰還を喜ぶ歌だった「里の秋」は、もともと、戦争でお国のためにがんばっているお父さんのように、私もも大きくなったら国のためにがんばるぞと言う歌詞を書き換えられたものだ。
東条英機が映画の冒頭で推薦文を書いた映画「馬」はまだ少女だった高峰秀子が主演で、大自然の中で成長する仔馬と少女の物語だそうだが、
彼女のエッセイ「にんげんのおへそ」の中で「馬」はひっそりと静かな戦争反対という下敷きが隠されていた」と書いている。
「南国土佐を後にして」は高知出身者を中心に編成された陸軍 歩兵第236連隊 通称「鯨部隊」が中国戦線を2千数百キロにわたる転戦の中で自然発生的に生まれ歌い継がれてきた兵士達の望郷の歌であり、鯨部隊の愛唱歌だった。
〈南国土佐を後にして 中支へきてから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌つた よさこい節を
土佐の高知のハリマヤ橋で 坊さんかんざし 買うを見た〉
〈月の露営で焚火を囲み しばし娯楽のひとときを
俺も自慢の声張り上げて 歌うよ土佐の よさこい節を
みませ 見せましょ 浦戸をあけて 月の名所は桂浜〉
いつ帰れるかわからない戦場で、この歌を歌い国の家族を思い、耐えていたんだなあ。
青田 幹コメント(0)
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