男が同行しているとはいえ、屋敷内に入ることにはそれなりに勇気が必要だった。
男の指示どおり、見回りは外に集中しているようだが、屋敷内にもまだ人の気配をかなり感じる。
「心配するな。万一、部下共に出くわした時には俺がなんとかする。では、一気に行くぞ」
そういうと、男はものすごい速さでいくつかの通路を走り抜けていく。
僕もそれを追って走るが、なんとか転ばないようについていくのがやっとだった。
でもへたばってる場合じゃない。それに――。
「アンタは……こんなことをしていいのか。僕を助けるような真似を」
「俺への気遣いなどと余裕のつもりか。ひよっこのお前は、自分の心配だけをしていろ」
「なんだよ、ガキ扱いしやがって……」
「事実なのだから仕方がない」
「分かったよ、どうせ僕は」
「どうせ、その言葉を口にするのはやめろ。これから大仕事を成そうというのなら、なおさらだ」
「……そうだよな。もう言わない」
「それでいい」
走りながら話していた男が、ふと言葉を止め、立ちどまって僕のほうに向き直った。
思わず何事かと身構えるが、男は無言で、通路の少し向こう側を指さしていた。
その先をたどるとなにか落ちているように見える……あ、あれは、さっき書いた手紙じゃないか!
「ご、ごめん!足手まといになって。すぐに戻る!」
すまない、と男に手を合わせながら、今来たばかりの道を走って戻り、急いで手紙を拾った。
整備場を出るとき、乱暴にポケットにねじ込んでいたせいだろう、しわくちゃになっていた。
「手紙、か」
「あぁ……そうさ、爺さんにって思って書いたんだけど……下層に帰る機会は無さそうだ。
彼女を助け出したら、その足ですぐにもこの街から離れなきゃいけないし……どうしようかな。
逃げられたら遠くの街から出す、か」
「やめておくのだな。せっかく逃げおおせたとしても、それで居場所を特定されたら水の泡だ。
お前に対して恨みを抱く者は意外と多いからな」
「そう、なのか。でも……どうしてだ」
「ちょろちょろと逃げ回ったり、見回りを打ちのめしたり。それでも心当たりはないらしいな」
「ちょろちょろって……意地悪な言い方だな。仕方ないだろ」
「その手紙、もしも俺でよければ渡してやるが」
「話を急に戻すなよ!っていうか、それは助かるけど……そんなことしても大丈夫なのか?」
「あぁ、どのみち俺もこの屋敷を出なければならん。それに俺も、あの爺さんに用があるんでな。
そのついでだ。気にするな」
「分かった、それじゃあ頼むよ。本当に助かる」
「あぁ、確かに預かった……よし、あの部屋だ」
「……見張りがいるけど、どうする?」
「お前は少しの間、そこの倉庫に入って息を潜めていろ」
そう言うと、男は堂々と通路の角を曲がり、当主の部屋まで歩き出した。
ヤツは用心棒の“旦那”。だから、どれだけ屋敷内を歩いていても、当主の部屋に近づいても、
不審がられることはないってことだ。見張り達も男に気づくと、すぐに姿勢を正し敬礼していた。
どうやら揉め事は起きそうにない。
そこまで見届けて安心すると、男に言われたとおり、おとなしく倉庫に身を隠した。
少し向こう側の廊下から、見張り達と男の話し声が、この倉庫内にも聞こえてきている。
ここは防音に問題ありのようだ。もっとも、ただの倉庫に防音など必要ないかもしれないが。
「これは……お疲れ様です!」
「ご苦労、状況はどうだ。なにか変ったことはないか」
「いえ、特にはありません」
「そうか……お前達、働き詰めで疲れているだろう。少しなら休んで構わんぞ。当主亡き今、
ここを見張っていても意味はあるまい。大広間に行くといい。食事も用意してある。鐘が六つ
鳴る頃、他の部下達もそこに集合することになっている。その頃に俺も行くつもりだ」
「は……お気遣い痛み入りますが、あなたが動いておられるのに、我々だけ休むというのは」
「くどいぞ、俺が構わんと言っている」
「はっ……!では、お言葉に甘えて、お先に失礼します」
「……」
話声が聞こえなくなってからすぐ後、二人分の足音が僕の方へと近づいてきていた。
なるほど、倉庫に隠れて正解だ。
それにしても奴ら、本当に気が緩んだのか、大あくびしながら雑談なんてしていやがる。
いくらなんでも気が緩み過ぎだろう。
もっともすでに夜明けに近い時間だから、仕方ないと言えばそうなのだが。
見張り達の声と足音がようやく遠ざかって消えた頃、倉庫の扉の向こうから男が声をかけてくる。
「もういいぞ、見張り共は追い払った。当主の部屋に入るぞ」
「……あ、あのさ」
「どうした、怖気づいたか」
「そうじゃないんだけど……当主の、その」
「……なるほどな。心配はいらない。当主は別の場所に“ある”」
「そ、そうか。ここにはないのか。ならよかった」
「大胆なことをして見せるかと思えば、妙なところで神経が細かいのだな」
「いや、多分僕の神経が普通だと思うんだけど……」
「まぁどちらでも構わんが、それより、ここまで来て誰かに見つかりでもすれば目も当てられん、
さっさと入るぞ」
「あ、あぁ……!」
扉を開けて、まず視界に飛び込んできたのは、目に悪そうな金ピカの悪趣味な家具に調度品、
それに装飾品――ここは間違いなく前に連れて来られた部屋だった。
それもずいぶんと酷い目に遭った、そうそう忘れられない、悪趣味なジジイの、悪趣味な部屋。
「この部屋、暖炉が二つあるだろう」
男がそう言って、使われた形跡のある暖炉と、すすの付いていない暖炉を指さす。
前に連れて来られた時には、それどころじゃなかったが、確かになぜか暖炉が二つあった。
「……でも、妙なことをするんだな。普通、暖炉なんて一つしかいらないはずだろう?」
「一つは本物の暖炉だが、隠し通路になっているほうにはマントルピースが取り付けてある。
よくよく見れば分かるかもしれんが、ひと目くらいなら、部屋の飾りと見せかけるには充分だ」
「なるほど……でも、これって自分だけ逃げるための通路だろう?上流社会の奴って卑怯だな」
「かもしれんな。だが今の俺達にとってこの通路は唯一の生命線だ。卑怯な上流社会の連中でも、
たまには、ものの役に立つこともあるようだ」
「だな、それじゃ早速、役に立ってもらいますか。……で、どうすればいい?」
「そこの、暖炉正面の石壁を押してみろ」
言われたとおり暖炉の奥の硬そうな石壁を押してみる。本来動くはずはないと思わせるような
重厚な外見だったが、少し強く押しただけで壁が動いて、真っ暗な穴がぽっかり口を開けた。
「上出来だ。ここを入ってすぐ、地下に向かう梯子が取り付けてある。見逃して落ちたりするな」
「分かったよ……梯子だろ。目的地は地下だしな」
「お前が先に行け、俺は後ろを守る」
「アンタ、意外に優しいんだな。じゃあ先に行かせてもらうよ」
「……優しい、か」
僕は覚悟を決めると、隠し通路の真っ暗闇へと入った。天井は低いし、横幅も広くはない。
少し進むと、なるほど、梯子があるようだ。どうやらここから真下にまっすぐ伸びているらしい。
下り始めてから徐々に湿度が高くなっているのが分かる。下までずいぶん高さがありそうだ、
うっかり足を滑らせて落ちないように気をつけながら、一段一段、彼女の元へと歩みを進める。
僕が梯子を降り出してから少し後、上のほうからもう一つの足音が梯子を下りてきている。
アイツ……だよな。その確認の意味も込めて、上のほうに声をかけてみる。
「なぁ、この梯子、どれぐらい降りるんだー!?」
「下の通路には薄明りがついている、降りる場所は分かるはずだ。それより滑るなよ」
「あ、あぁ、了解!」
その声に安心し梯子を下りて行くと、男の言うとおり徐々にぼんやりとした薄明りが見えてきた。
ようやく戻ってくることができたか。
だが、下の通路を抜けて、地下牢にたどり着き、彼女を助け出すまでは、安心しない。
今は男と一緒に行動している安心感があるが、そのために心に隙が生まれないようにしなければ。
梯子を下り終えて、そこでしばらく待っていると、じきに男も降りてくる。
「無事に降りられたようだな。地下牢への道はこちらだ、行くぞ」
「……いよいよだ。待っててくれよ、アウラ」
「そんなふうにお前に想われて……彼女は幸せなのだろうな」
「どうかな、僕は彼女を何度も裏切ったから……」
「だが、今この時もお前が助けに来るのを待っているのだろう?その期待にしっかり応えてやれ」
「言われなくてもそうするよ……だけど、ありがとう」
「なにか言ったか」
「……なんでもない。道はこっちであってるのか」
「あぁ、もうじき着く。向こう側に梯子が見えるだろう。あれを昇ればいよいよ地下牢に出るぞ」
「分かった、行こう」
彼女が待つ場所へと向かって、狭く暗い道を、敵だったはずの男と歩いている。
信じる相手を選べと、いつか爺さんが教えてくれた。そして僕は、この男を自分の意思で信じた。
同じ場所で、同じ人に育てられた“兄”だったから、という理由もあるのかもしれない。
だが、これまでのことだけを考えてみても、この男は屋敷で僕を育て、庇い、守ってくれていた。
なんとなく、そんな気がしていた。
作品紹介
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『虹色カナタ』 Image Story ep:06
その日、僕たちは、黙りこくったままで船着き場へと向かっていた。
運命の船が、もうすぐそこまで来ているはず。
そして君を、ここではない別の場所へ、別の朝へと連れ去ってゆくのだろう。
その時、僕は耐えきれるだろうか。腕を掴んで引き寄せてしまったりしないだろうか。