その日、僕たちは、黙りこくったままで船着き場へと向かっていた。
運命の船が、もうすぐそこまで来ているはず。
そして君を、ここではない別の場所へ、別の朝へと連れ去ってゆくのだろう。
その時、僕は耐えきれるだろうか。腕を掴んで引き寄せてしまったりしないだろうか。
どうにも、離れてゆく君の背中を、じっと立ったままで見送る自信がない。
だけど、そう、小さい頃に出会ったあの露店のオジサンが言ってたっけ。
『一度言ったことは守る、それが『約束』ってもんだろう?』
僕たちは、今日のこと、そしてこれからのことについて、特別、一度もなにかを言ったことはない。
だけど、ルミネは『願いを叶えて戻ってくるまで』と、あの日、世界がオレンジに染まっていたあの時、
たしかにそう言った。
だったら、それはもうきっと立派な『約束』なのかもしれない。
「もうすぐ春だって言うのに、まだ少し寒いなぁ」
「うん」
「船、まだかな」
「うん」
「うん、ばっかりだね」
「うん」
「また」
「う、あ。ごめんね」
ルミネが少し困ったように小さく舌を出して笑った。
久しぶりに見た懐かしい笑顔に、思わずホロリと来そうになるのを、寸でのところで堪える。
今、僕が泣いてどうするんだ、彼女の目、見えているだろう。さっきから真っ赤じゃないか。
それでも泣きそうになって、僕は思わず背中を向けた。
そんな僕の服のすそを、くいっと引っぱる、あの懐かしい感触。
え・・・?と思ってふと振り返ると、やっぱり僕と同じ、少し泣きそうな顔をしたルミネが、
僕の服のすそを掴んで、照れ臭そうに笑っていた。
「えへへ、なんか懐かしいなぁ、これ」
「そ、そうだね・・・ホント、いつ以来だろう」
「私、いっつもこうしてたんだよね」
「そうだよ。だから昔着ていたシャツはどれも、同じ所がちょこっとだけ伸びてたんだ」
「そうなの?・・・ごめんねぇ」
言葉では謝りながらも、くすくす笑っているルミネを見て、僕は少しだけ胸が軽くなった気がした。
「うん、その顔がいい」
「ん・・・ありがと」
「あーっと、向こうに行ったらさ、手紙書くから、ちゃんと送り先教えるんだぞ」
「うん、そうするね!」
「うん」
「・・・船、来たね」
「うん」
「今度はオルトが『うん』ばっかり?こんな時くらい、気の利いたセリフのひとつもないかな」
「っはは・・・ばーか。いいから、ほら、行きなよ」
「うん」
「・・・体に気をつけてな」
「そっちも、ね」
彼女が船に乗り込むと、まもなく出港の合図が鳴り響く。
それでも僕たちは、共に過ごせる残り少ない時間を惜しむように、言葉を交わした。
そして、いよいよ船が船着き場から離れ、遠くなってゆくに連れて、言葉を交わす声も大きくなり、
しまいには叫び声になっていったけれど、僕たちは声の届く限り、言葉を繋ぎ続けた。
それはきっと傍から見れば、馬鹿みたいに見えたかも知れないけど、それすら、どうでも良かった。
それよりも、できることなら、遮るものもなく自然に話していた、さっきまでの時間に戻りたかった。
どうして、もっともっと話さなかった。話したいことは、いくらでもあったはずなのに。
遠ざかっていく声を必死に聴いて、それに応えているなんて、あまりにも滑稽過ぎるだろう。
そう思いながら、互いに喉が枯れるほど叫んでいるその間にも、僕たちの距離は引き離されてゆく。
そして、出発の汽笛が鳴り、いよいよなにも聴きとれなくなった時。
「 --けで、---よーー!!」
「なにっ!?なんて言ったんだ!!?」
ルミネが、なにかを叫んだ。
僕はそれを訊き逃すまいと、必死に耳を傾けたけれど、
汽笛の音と強い海風にあおられて、彼女の声は掻き消されてしまった。
「~~~!!!~~~~~~!!!!」
「なんだってーーっ!!聴こえないよーーーーっ!!おい・・・ぜんぜん・・・聴こえないよ」
遠ざかっていく彼女の姿が見えなくなるまで必死にこらえていた涙が、堰を切ったように溢れだした。
もう強がることも、格好つける相手もいない。だから、素直に、泣いた。
いや、大人も子供も関係ない、悲しい時には泣くんだ。
それすらも、大人になってからずっと僕が忘れて来たことだったのかもしれない。
誰が見ていてもかまわない、泣いている理由も、僕の気持ちも、誰にも分からなくていい。
今だけは、思いきり―――。
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