/

ありふれた人生-ギターバージョン

  • 21回再生

作品情報

ジャンル フォーク
参加形態 単独
公開

作品紹介

MTに最初に登録したのが、ありふれた人生のピアノバージョンでした。

重いハンディを抱えて生きる人達と交流を持つようになり、誰にでも当たり前に生きる権利があるはず・・・
そう思いました。

10代の後半に読んだ司馬遼太郎の「龍馬が行く」からは、僕の生き方に考え方に強い影響を受けました。

この世に存在する雑草にも、石ころ一つにも、そこに存在する意味がある。
どんなハンディを抱えていようと、この夜に生まれてきたからには、必ず意味がある。
そう確信しました。

医学が進歩し、受胎したあと、希望すれば性別もわかる。障害の有無までわかる。
その判定に一喜一憂する人もいる。
生むことに否定的な考えを持つ人もいるらしい。

むかし、貧しい村では、生んだ直後に赤ちゃんを殺してしまうことも行われていた時代もあったそうな。

新しい命-、命を授かるとはどういうことなんだろうか。

妻から妊娠を告げられたとき、「自分の生き方が試されるときが来た。」と、強く感じた。
学生時代から、「もし障害がある子が生まれるとわかったときに、君はその子を絶対産むと言い切れるのか!?」
そんな風に問われたことが、何度もあった。
青臭い学生の議論。観念論で、「こうあるべき」と答えてみても、いざ自分の問題となったときに「絶対そうする」と言い切れるのか・・・と問われても、明確な返答が出来るはずもなかった。

3人の子供を授かった。3回、強い覚悟をする機会を与えられた。

その3人の子は今、小学生と保育園だ。

彼女たちが二十歳の成人式を迎えるときに、僕の生き方、考え方の答えが出るのだろうか。
思わず大きな声で子供を叱る。子供が泣く。反抗してぷいと横を向く。
もっと理詰めで冷静に注意するべきだったろうか?
毎日が、子供達に試されている気もする。

子供は親の鏡という言い方がある。

中学生になり、高校生になり、大人になり・・・

子供達のその時の生き方、考え方を見ていれば、僕の考え方生き方がどうだったのか、答えが見えるのだろうか。

写真は夏のキャンプ、打ち上げ花火を見ている。

青田 幹

コメント(2)

コメントを読むには、ログインが必要です。