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竹田の子守歌/放送禁止歌/京都市竹田地方/5/22のライブより

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作品情報

ジャンル フォーク
参加形態 コラボ
公開

作品紹介

竹田の子守歌は京都・大阪の複数の被差別部落に伝わる守子歌です。1969年にフォークグループ赤い鳥が演奏したことで社会的に注目を浴びました。
元々は住井すえさんの「橋のない川」が舞台化される際に、音楽担当の尾上和彦さんが、京都竹田地区で採集した民謡を編集して使ったものだそうです。
1971年にシングルカットされ3年間でミリオンセラーのヒット曲となる。
被差別部落絡みの楽曲であるというだけの理由で、放送局では、長く放送されることがなかった。
いわゆる放送禁止歌(封印作品)となる。1990年代に封印が緩和され、多くのカバー作品がある。

1974年12月から1975年1月にかけてNHK「みんなの歌」で放送されたが、上記の理由からか、その後一度も再放送はされていない。(ウイキペディアフリー百科事典より)

子守唄は特に明治、大正の時代に貧しい子どもたちの間で歌われたと言いましたが、もちろん、部落の子に限らず当時の「小さな女性労働者」は、こういった苦しみの歌、怒りの守り子唄をうたっていました。でも、部落に多くの子守唄が残ったのはなぜでしょう。
ある研究者によると、地元の子守唄を実際にうたったことがある人の年齢を、部落と部落でない地域とで比較すると、二十年の差があったそうです。
明治に近代化が始まり、工場などの賃金労働者として若い女性たちもかり出されます。当然、部落の女性たちも子守よりは条件のいい工場へ行こうとしますが、そこで就職差別にあいます。仮になんとか勤めたとしても、一緒にご飯を食べさせないなど様々な残酷な差別がありました。そして、泣く泣く家に帰ってくる。そうすると部落の子どもたちに残された労働手段は、内職や守り子しかなかったのです。
それで、うたい継がれた子守唄は長く、部落の中に残ったのだそうです。
歌がうたい継がれ、今でも地元で生きているということ自体が差別の表われなんですね。
(2003 年8月、高野山で開かれた藤田正氏の講演会「第34 回部落解放・人権大学講座」より)

ボーカル:ほそい
コーラス:ナオ
ギター:totto

青田 幹

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