激しい恋 <Cover 西城秀樹>
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作品情報
| ジャンル | Jポップ |
|---|---|
| 参加形態 | 単独 |
| 公開 |
作品紹介
☆ 西城秀樹さんカバー第1弾です。
図書館でCDアルバムを借りて、通勤の車の中で聞くのが私のルーテイーンになっておりますが、ふと目に止まった「西城秀樹ベスト・アルバム」そういえば、昔父親が買っていたLPレコードの中に「傷だらけのローラ」があったよなあ、と思い出しました。
解説を読むとわかりますが、ヒデキさんは昭和30年生まれで、私の8歳年上で2018年に63歳で亡くなっておりますが、脳梗塞で闘病されていた姿をTVで見たことがあり、子供の頃によく見ていたザ・ベストテンでのかっこいいステージを思い出しながらも
「人生は1度きり、いつ病気で天国に行くか?わからないなら、今を挑戦していきたい」としみじみ思うのでした。
さて、近況ですが12月に岩手県盛岡市で出演予定だったライブは、クラスター発生のため辞退しました。
それでも、MTでシンガーとしてコラボの依頼をお願いされたり、月3回通っているDTMスクールも半年を経過して、「シンガー育成事業」なるものに参加することになり、MUSIC TRACKでこの何年かやってきた、歌のみのMIX録音をして、聞いてもらう。先生の奥様が
現役プロシンガー(ドリカムの吉田みわさんにそっくり)なので、アドバイスをもらえるとか、ワクワクしておりますです。
西城秀樹さん曲ですが、「炎」「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」を、いきつけのカラオケスナックさんで練習してつかんだので、数曲録音MIXしたので、公開第1弾です。
「ジャガー」を初めて聞きましたが、まるでミュージカルのようなセリフまわしで、「これをライブで聞いたら、女性ファンはたまらんだろうなあ」と思いつつ、来年のコロナ収束のライブの十八番にしようかな?と、思っております。
私はまだ還暦前なので、「元気があれば何でもできる」をモットーに音楽活動をしているので、憧れだったヒデキさんの曲を歌えるなんて、とてもHAPPYなことだと思っています。(芸名がミスター ハッピーだし)
カバー曲を歌って、リスナーさんに喜んでもらえたら私もHAPPYなのです。
解説
「激しい恋」(はげしいこい)は、西城秀樹の楽曲で、9枚目のシングルである。1974年5月25日にリリースされた。
「ちぎれた愛」以来の作詞:安井かずみ、作曲:馬飼野康二のコンビによる作品である。
激しいアクションと共に「やめろと言われてもー♪(ヒデキー!!)」の歌詞が流行語にもなった。
1972年よりシングル「恋する季節」で歌手デビュー。郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれるようになった。
1973年、5枚目のシングル「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。以降、オリコンベストテンに11年連続、計33曲を送り込む。「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得。絶唱型と言われる歌唱法を披露。『第15回日本レコード大賞』で初の歌唱賞を受賞する。
1974年、「薔薇の鎖」でマイクスタンド・アクションを披露。「激しい恋」がオリコン年間チャートの第8位を獲得。「傷だらけのローラ」が、『第16回日本レコード大賞』で歌唱賞を受賞。これによりポップス歌手としては史上初となる2年連続受賞を樹立する。『第25回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、その後も着実にヒットを飛ばす。ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、松竹映画『愛と誠』で映画初主演と、俳優としても活動する。
1976年の「君よ抱かれて熱くなれ」から1977年の「ボタンを外せ」までは、阿久悠の作詞、三木たかしの作曲のコンビによるヒット作品が続く。1976年の「ジャガー」、1978年の「炎」で、『東京音楽祭』国内大会でゴールデン・カナリー賞を受賞し、世界大会にも出場。1979年、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」で「Y.M.C.A.」の4文字を全身で表現するパフォーマンスを披露した。
ロック系のポピュラー音楽を中心にしたコンサート活動も精力的に行い、1974年から1983年まで10年連続で、大阪スタヂアム(大阪球場)でのスタジアム・コンサートを(1978年からは後楽園球場でも)開催する。1975年秋には、日本人のソロ歌手として史上初となる日本武道館でのリサイタルを公演し[20][73]、その後11年連続(通算12回)開催する。「秋(静)の日本武道館」と「夏(動)のスタジアム・コンサート」は恒例となる。
1981年、「リトルガール」でシングル30曲ベストテン入り(オリコン史上初)。続く「セクシーガール」で、発売シングルレコードの総売上枚数が1,000万枚を突破する(史上5組目)。同年、香港で初のコンサートを開催し、その後もアジア各国でコンサートを行う。
『NHK紅白歌合戦』は1974年から1984年の「抱きしめてジルバ」まで11年連続出場(その後1994年に10年ぶりに出場後、1995年、1997年から2001年までの計7回出場した。総出場回数は通算18回)。『日本レコード大賞』では1976年の「若き獅子たち」が歌唱賞を受賞(通算3度目)。金賞は1978年の「ブルースカイブルー」から1983年の「ギャランドゥ」まで6年連続受賞する。ヒット曲をランキング形式で紹介する音楽番組『ザ・ベストテン』には放送が開始した1978年の「ブーツをぬいで朝食を」から1985年の「腕の中へ」まで22曲ランクインした。『ザ・ベストテン』の放送開始はデビューから6年後だったが、通算ランクイン155回は番組史上6位、1970年代以前デビューの歌手では1位。放送開始時から数えた場合、8年連続ランクインは最多の連続年数出演である。
杉山 桃子コメント(7)
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