僕が“脱獄”してしばらく経ったが、屋敷内が慌ただしくなることは、今のところないようだ。
よし、知っている場所に出た。ここからは――。
「お前……地下牢にぶち込まれたはずだぞ!どうやってここに!!」
見回りの隙を見計らい、路地を近道して通り抜けようとしたのだが、タイミングがまずかった。
誰もいないことは重々確認したつもりだったのだが、僕が飛び出すと同時に、目の前の建物の
角を曲がってきた見張りに、あえなく見つかってしまった。
一瞬、心臓が止まるかと思ったが、恐怖をどうにか呑みこむと、降伏の意を示して両手をあげた。
おそらく今はどんな誤魔化しも通用しない。屋敷の見回り全員が僕の処遇を知っているはずだ。
どうあがいても言い逃れは不可能。ならば――。
「あぁ……」
「……あぁ?」
「ご、ごご、ごめんなさい、僕、僕は……あ、ああ、あの、あの!」
「けっ、なんだなんだおい、泣きだすぐらいなら逃げ出すんじゃねぇよ、これだからガキは――」
僕は泣き声を作り、許しを乞うように顔を隠し、ひざまずいてみせた。奴はこれで油断したはず。
じりじりと近づいてくる足音に、鼓動が早鐘を打つ。
焦るな、まだだ、まだ……落ち着け、もっと。
そうだ、もう少し近づいてから……今っ!
僕は、ひざまずいた時に素早く手に掴んでいた砂を、見回りの顔めがけて思いきり投げつけた。
それは放物線を描いて、すっかり油断した見回りの目に、見事に命中した。
「ぐおお、目がぁ、目がぁーーーー!!」
地べたをのたうちまわる男を確認すると、僕は心を鬼にして、男の急所めがけ、思い切り
拳を突きだした。
「……のお、おぉ……」
「ふ、ふん……子どもだと思って油断したお前が悪いんだよ。いい勉強になっただろ?」
声にならない声を上げ崩れ落ちる見回り。泡を吹き、白目をむいて気絶している。
そう、格闘術など知らなくても、相手が一対一で、覚悟さえあれば、戦い方は案外あるのだ。
痛む爪先で頭を小突いて見回りの気絶を確認してから、男が腰に下げていた銃を取る。
あくまで護身用。
これを使う瞬間が来ないことを祈るが、身の危険が迫った時には遠慮なく使わせてもらおう。
それから、この男が見つかって騒ぎにならないように念のため木陰まで引きずって隠して、
急ぎ、整備場へと向かった。
ついさっきは、相手が一人だから勝てた、それも、僕の芝居に乗ってくれたおかげでだ。
だが、いつも上手くいくとは限らない。腕っ節の弱い僕としては、できれば戦闘は避けたい。
今のところ幸いなことに、僕が脱走していることに気づいている者は気絶させた男のみで、
屋敷内にもさほど張り詰めた空気は感じられなかった。
整備場に到着すると、急いでいつも僕が使用している機体のハッチを開け、中に滑り込む。
そこには、特殊装置があからさまに見えるように設置されている。
取り外しても爆発、と、あの男が言っていた。どうする。
これを外さずに飛び立ったとしても、今、航路はセットされていない。
となれば、飛んだ瞬間に爆発、という可能性も充分あり得る。
分かっていたとはいえ、なんとかここまでたどり着き、あげく目の前には空を行けるものが
あるというのに、それを使えないのは、かなり痛い。
不安に呑まれそうな気持ちを抑えるため、一つため息をつきながら、改めて整備場を見渡した。
……こうしてじっくりと眺めたのは、ここに来てからそう多くはなかったな。
まさか、あの頃はこんなに大それた真似をするなんて自分でも想像していなかった……などと、
少しだけ感傷に浸りながら、視線を整備場の、もう一つの出入り口付近に移した。
そういえば、あそこに大きな格納庫があるんだよな……開いているのを見たことがないけど。
いつだったかずいぶん前に気になって他の整備員に聞いたとき、なんと言ってたか……そうだ。
使われなくなった古い機体が格納されてるのだと、確かそう言ってた気がするが……。
古い機体か。
古い……古い……?
……あ!そうか、その手が――!!
僕はすぐさま乗り慣れた飛行機から滑り下りると、急いで古い格納庫のほうへと走った。
鍵がかかっているが、簡単な錠前だ。ここにある道具なら、すぐにでも開けられるだろう。
倉庫付近に乱雑に置かれた工具箱を物色する。
……よし、ワイヤーの切れ端だ。あれ程度の鍵ならこれで開くはず。
それを手にすると、再び古い格納庫前に急ぎ、早速、鍵を外そうと試みる、
が、緊張で手が震えているせいだろう、上手い具合に開けられない。
早く、急がないと。
考えてはいけないと分かっているが、その考えを頭から追い出すのは想像以上に難しい。
そのことになおさら焦りながら、震える手でどうにか鍵を開いた。
ただ、格納庫自体が古いだけあって、扉を開けるにも相当の注意が必要なようだ。
これは蝶番に油を垂らす、という規模でもない。……想像以上に危険かもしれないが……。
それでも、もはや後には引けないのだ。
彼女を助けると、僕は約束をしてここに来たのだから。
なんとか音がしないようにと、寿命を縮める思いで、格納庫の扉を開いていく――。
大きくため息をつくと、目眩がした。
もうここに座り込んでしまいたい、そんな気分だが、あることを急いで確認しなければならない。
古い格納庫の中には、本当に旧式の小型飛行機が眠っていた。
だが、その機体は想像した以上に綺麗に保たれている。外観はひとまずいい、問題は中身だ。
ギィギィと音を立てるハッチを思い切って開くと、すぐさま操縦席に滑り込んだ。
――よし、思った通りだ!
この飛行機に、特殊装置はセットされていない。
念のため操縦席、外観の隅々まで丁寧に見て回ったが、それらしきものは見つからなかった。
おそらくあの装置は、新型の機体に変えたときに取り付けるようになったのだろう。
それに、この機体。小型だがちゃんと二人乗る場所もある。これは動きさえすれば充分に使える。
燃料タンクやエンジンも確認してみるが、劣化していたり、燃料が漏れ出している様子はない。
僕は、急いで燃料を持ってくると、タンク一杯になみなみ注ぎ込んだ。よし、漏れてこない。
これで、燃料も大丈夫だ。
あとは、エンジンだが……こればかりは動かしてみないことには、なんとも言えない。
だが、今動かせば、騒々しい音に気づいた見回りが大挙して押し寄せるだろう。
こればかりは、どうやら出たとこ勝負のギャンブルになりそうだ。
一通り機体の点検を終え、古い格納庫を出て外の様子を確認するが、相変わらず静かなままだ。
かえって不気味なくらいだが、ここは前向きに考えることにする。
そうだ、爺さんに宛てて、手紙を書いておきたい。
この状態では渡せるかどうかさえ怪しいものだが、万一そうできるなら、そうしたい。
あまり時間がかけられないため、簡単にしか書けないとは思うが、無いよりずっと良いだろう。
僕の計画が上手くいっても、そうでなくても、おそらくもう二度と会えなくなるはずだから。
それにしても、心になんの準備もないまま、もう二度と会えなくなる……そんな日が来るとは
想像もしなかった。それに気づけていたなら、もっともっと、色んな話ができたはずなのに。
だが、それはすでに仮の話で、今はもう叶わないことだ。
僕はもう引き返せないところにいて、そのことに後悔は、ない。
整備場の事務所に行き、辺りを気にしながら、適当な紙に伝えたいことだけを簡潔にしたためて、
近くにあった飾り気のない茶色の封筒に差し込み、ポケットにねじ込んだ。
……渡せるかどうかも分からない、その手紙を。
よし、格納庫は開けたし、もう一つの滑走路への道も開いた。
あとは……彼女を助けに行き、あれで飛び立てればいいのだけど……。
もう一度だけ深呼吸をして、頬を叩いて気合を入れ直すと、再び地下牢のある場所に向かって
走り出した。
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