少女は人形だった。
いや、それは正しくない。
正しくは、人形のように扱われている、と言うべきだろうか。
どうやら彼女は、ジジイ……当主のお気に入りらしく、いつも綺麗な服を着せられては、
ごてごてと飾られた人形のような姿で、当主の傍に黙って佇んでいるという。
また、容姿もさることながら、彼女の持つその美しい歌声に目をつけた当主は、
屋敷に客を招待する日には必ず彼女を呼び出し、客が好む歌を延々と歌わせるらしい。
客が帰る、その瞬間まで、ずっと。
それを聞いていて、むごい、と思ったのと同時に、高価な工芸品の中にも似たようなものが
あったことを思い出す。
僕は実物を見たことはないが、過去に上流社会で生きていた仲間に話を聞いたことがある。
ぜんまいを回すと、綺麗な人形がクルクルと回転しながら、綺麗な音色を奏でるのだそうだ。
しかもそれは、ぜんまいが回りきるまで止まることなく、延々と回転しながら歌い続けるという。
その姿を想像し、彼女に重ねてみると……まるで、彼女はその人形そのものだと思った。
「それにしても、まさか君があの晩の子だったとは驚いた。それも、ここで暮らしていたなんて。
僕はここで働き始めて四年ぐらい経つけど、君の話は一切聞いたことがなかったからな」
「誰にも知られないように、囚われているから」
「それで、必要な時だけ呼び出されて、歌わされているのか……今日もかい?」
「うん、さっきまで。その後……よく分からないけど“片付け”が終わるまで、とりあえず
この部屋に入ってろって」
「とりあえず、って。それじゃ、この豪華な部屋は君のものじゃないのか?」
「うん。私の部屋、ここより暗くて狭いの」
「……そうだったのか」
この屋敷の当主は、下層の人間に仕事を斡旋したり、上流社会でも頻繁に晩餐会などを開いては、
細やかに周囲の者との親睦を深めたりすることから、協調性や絆を重んじる分け隔てない
人間として、この上流社会では高く評価され、一目置かれる存在なのだという。
しかし、実のところそれは本当の姿とはおよそほど遠いところにある、いわゆる虚像でしかない。
表向きは善人ぶり、その実お人形遊びに興じる悪趣味な老害。それが当主の真の姿かもしれない。
それは、僕への待遇然り。そして今、僕の目の前にいる少女を見て、彼女のこれまでの話を
聞いていて、なおのことそう感じた。
囚われている。彼女はそう言った。
確かに、今までの話をたどっていけばいくほど、僕にもそう思えてならなかった。
衣食住に限って言うならば、どうやら人間らしい扱いを受けてはいるようだったが、
おそらくここにいる誰にとっても、彼女は当主の飾りや人形という以上の存在ではない。
誰にも必要とされず、愛されていない存在。
当主にとっても、彼女は自分を飾るための装飾品、あるいは人形に過ぎない。
「だから……一緒に、いこう?」
「昔と……あの晩と同じことを言うんだな。あの時は、僕を屋敷に連れていきたかったのかい?」
「ごめんなさい。でも、あなたは優しかったから」
「優しかった……とは思えないけどな。確か僕は、君に酷いことを言ったと思うんだけど」
「そんなことない。あの場所にいると危ないって、教えてくれた」
「まぁ、間違ってはいないけど。でも今、君が言った言葉。昔と同じだけど、意味は……
昔のとは違ってる、んだよな」
「うん」
「でも、どこかに行くって、あてでもあるのかい?」
「ううん、私がいた場所は、もう無くなったって」
「いた場所って……まさか、君も下層の人間なのか……!?」
「連れてこられたの、お金と引き換えに」
「あぁ、まさか……そんな。ごめんよ」
「どうして、あやまるの」
「それは……なにも知らないくせに知ったようなことを言ったから。幸せがどうとか色々……」
「気にしてないよ」
「でも……。けど、それならなおさら行くところなんて、無いんじゃないのか」
「ここでなければ、どこでも」
「どこでも、って言ったって。困ったな……」
「……だめ?」
そういって、彼女が白く華奢な手を、遠いあの晩のように、僕にそっと差し伸べてきた。
下層の世界からお金と引き換えに連れだされて居場所を失い、そして上の世界にも居場所がない。
その境遇は、どう考えてみても“幸せ”という言葉とは、ほど遠い。
その上、利用される時だけ人形のように扱われ、それ以外の時は暗い場所でひっそりと息を
しているそれだけの存在。これなら、下層に生きているのと大差ないじゃないか。
いや、仲間と寄り添って、好きな時に好きな唄を歌えるだけ、ここより幾分ましかもしれない。
……ここから連れ出してやりたい。僕だって、できるならそうしたい……だけど。
僕は、差し伸べられた手を見つめて、その手を取るべきか、どうすべきかをしばらく逡巡したが、
やはりできること、そうでないことが世の中にはあって、そして僕には、この手を守ることなど
きっとできない、と決めつけた。
「だめ、というより……僕にはできない」
「……どうして?」
「どうしても。君をここから出してあげたいとは思う。正直に言えば、僕だってこんなところ
からは逃げたいって思う。でも、やっぱり僕達みたいな下層の人間には逃げ場がないんだ」
「逃げ場……」
「そう、逃げ場。実は僕もここへ来てから、何度か外の世界に逃げようと思ったことがあってね。
でも、陸路も海路も警備がものすごく厳重で。それに、身分を証明するものも必要みたいで、
どうしようもなくて。とてもじゃないけど、無理だったんだ」
「空、は」
「空か……。僕はパイロットだから空は飛べるけど、僕が使える飛行機は屋敷の物だけなんだ」
「飛行機は、だめなの」
「あぁ、決められた空路を外れると、どういうわけか爆発する仕組みになってるんだ。だから」
「そう……」
「……すまないな。それにこう言うのもどうかと思うけど、君は、その……ここの暮らしに
慣れてしまっているはずだ。でも一度ここから逃げ出せば、絶対に今の生活には戻れない。
もし逃げても、この屋敷の奴らからずっと追われることになるかもしれない。それがどれだけ
大変なことか想像するだけで……正直、僕は怖い。君は……君にはその覚悟はあるのかい?」
「……それは。そんな、こと……」
それは、僕がなにもできない自分を正当化するために口に出した言葉だったかもしれない。
でも、僕のその言い分に反論しようとして、結局、悲しげに目を伏せ、口をつぐんだ彼女を見て、
胸が締めつけられる思いだった。
それでも、僕が言ったことはすべてが間違いではないはずだ。
元は下層の人間とはいえ、長い年月をこの場所で生きてきた彼女が、いまさら下層の世界に
戻ったり、他の場所で生きていけるとは、到底思えなかった。
僕は、触れてきた彼女の手を、せめてやんわりと優しく離した。
そんなものは優しさなどではない、と知りながら。
だから、彼女の手から感じたぬくもりが、あの晩、この手を振り払った時と同じように、
また、チクリと胸を刺した。
それでも――彼女の望みは僕にとって荷が勝ち過ぎる話だと思い込んで、納得するしかなかった。
いけない……早く薬を持って帰らなきゃ。爺さんに早く薬を飲ませて、楽にしてやらなくては。
「ごめん、そろそろ帰らなきゃ。これから大切な用事があるんだ」
「そう……」
「本当に……ごめんよ」
彼女……アウラは悲しげな表情のままで、無理に笑顔を作ろうとしたのか、泣き笑いのような、
なんとも言えない表情で小さく手を振っていた。さっき、僕に差し伸べて拒まれた、その手で。
そんな健気な姿を見ていると、彼女の力になれなかった無力な自分に、無性に腹が立ってくる。
でも、今はそんなことを考えてる場合じゃない、と、色々な感情に気づかないように封をして、
僕はその場を立ち去った。
――いや、立ち去ろうとした。
「……おい、テメェ、そこでなにしてやがる!!」
「うわ!」
彼女の部屋から出た途端に見回りが来るなんて出来過ぎてやしないかと一瞬考えるも、
アウラの言っていた言葉が、ふと頭をよぎる。
“とりあえずこの部屋に入ってろって”
そうか、彼女と話している時は考えも及ばなかったが、とりあえず、とはこういうことなのだ。
あの部屋は仮部屋だったのだから、彼女を本来の部屋に連れ帰る迎えが来る、と考えるのが
自然だった。それも、いつ来るかわからない状態だった、ということも。
……くそっ、とにかく今はぐだぐだ考えている場合じゃない!
僕は思考を切り、どうにか出口を探すべく闇雲に走り出したが、そもそもここは僕が迷い込んで
たどりついた場所だ、どう考えても分が悪すぎる。
あげく、さっきまで僕を闇に隠してくれていたはずの曇り空も、今ではすっかり晴れ渡っており、
黒い空にぽっかり浮かんだ青白い月の光が、ご丁寧にも僕の居場所を奴らに教えている。
今日はついてる、なんて思い込んでしまった僕が馬鹿だった。もっと考えてみるべきだった。
今までに幸運が廻ってきたことなんか一度でもあったか、と。
それなのに、僕にしては色々なことが上手くいったために、知らず知らず、油断してしまっていた。
なにもかもが中途半端すぎる自分にさらに嫌気が差してくるが、感傷に浸っている余裕はない。
追っ手はすぐ傍にまで近づいてきているのに、僕はまだ脱出できる場所を見つけてはいないのだ。
はぁ、はぁ……。
息切れ寸前なのが自分でもよく分かる。
四年前はもう少し逃げ足も速かったんだが、どうしてだろう、ちっとも前に進んでる気がしない。
それでも、危機から少しでも遠ざかろうと無理矢理に足を進めていたが、ついには息が切れ、
とうとう地面に倒れこんでしまった。
そこに追っ手が覆い被さるようにして押し寄せては、次々に僕を打ちのめしていく。
くそ、ここまでか……でもせめてこの瓶は、薬瓶だけは守らないと……!!
気を抜けばすぐにでも薄れそうな意識の中で何度もそう言い聞かせ、なんとか意識を保ちながら、
懐に抱いたそれを、体を丸めて、両手で抱えて守った。
――この後の顛末は、知っての通りだ。
僕はあの“旦那”と呼ばれる男に結果的に助けられる形となり、体中ボロボロになりながらも、
薬瓶だけはなんとか無事に持ち帰ることができた。
もう少し付け加えると、僕がボロボロになって帰ったのを見て、故郷の仲間達が何事かと
驚いたそうだが、帰りついた途端、その場で倒れ込むと、甲斐甲斐しく介抱してくれたらしい。
その後のことも、なに一つ覚えていないのだが、うわ言で何度も「爺さんに薬を……瓶を」
と言っていたのに気づいた誰かが、懐に入れていた薬瓶を爺さんに届けて飲ませてくれていた。
もっとも僕は翌朝に、爺さんに薬が届けられたと聞いて、そこでようやくホッとできたのだが。
作品紹介
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