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『空のそらと、風のうた』~episode:05 -邂逅の回想・2-

……あ。
声こそ聞こえなかったが、抱えあげられる直前、微かに動いた唇がそう呟いた気がした。
なにが、どうなってる……?
でも、その声なき声の意味を探ろうとしたのが失敗だった。今は油断をして良い時ではなかった。
気づいた時には、僕には逃げる間も退路もなく、男達に取り押さえられ、腕が折れそうなほどに
暴力的な力でねじ上げられながら、通りへと引きずられていった。
だけど、どうして……彼女にだけ用があるんじゃないのか。どうして僕までこんな目に……!?

「おーおー、ずいぶんと臭うな。しかし良い目だのう。反抗的なその目。本能むき出しで攻撃的、
実に人間らしいわ。いや、むしろ獣らしいというべきかね?結構、結構。ほほっ」
「ふざけるな、アンタ何もん……」

僕がそう言い切るのが先か、老人の脇に控えていた頬に傷のある男が動くのが早かったか。
ものすごい衝撃を感じた時には、すでに痩せた体が宙を舞い、地面へと叩きつけられていた。

「口の利き方を覚えたほうがいい。この方は――」
「よいよい、こんな下層の生き物になにを言われようと、なんということもないわ」
「は……(相変わらずの有り様だな……ここは)」
「こう見えてワシは博愛主義者だからの。こうしてこのような場所に出向いて、お前達のような
者達に仕事を授けておる。思い返せば、もうずいぶんと多くの者達の世話をしてやったものだ」

訊いてもいないのに、勝手に自慢話をして悦に入っているこの老人は一体何者だ。
ここの人間をずいぶん世話したと言っていたが……。
そういえば、と、ふと思い出す。
いつだったか、時々このクズ通りに似つかわしくない上流階級の人間が来ては仕事を斡旋している、
という話を耳にした。僕達が暮らす場所でも、その話で持ち切りになったことがあったな。
それを聞いて「なんて立派な人間なんだ」と讃える者もあれば「巧く取り入れば上の世界に
行けるんじゃないか」と野心を持つ者もいた。
けれど、爺さんは、そう言う話に耳を傾けるなと言った。世の中、旨い話には必ず裏がある、と。
もちろん信じることは大事だが、信じる相手は選べ、とも言われたな。
……もしかしてこの老人、あの時の話に出ていた上流階級の人間なのか?

「キサマは骨がありそうじゃ。ふむ、容姿にも見るべきところがある。近々迎えに来てやろうぞ」
「……」

その舐め回すような視線に身の毛がよだつ思いだったが、僕は、ふざけるな!!
……という言葉を、どうにか呑み込んだ。
こういう手合いとは関わらない、それが爺さんとの約束だったし、言葉のひとつふたつを
呑み込んだところで、ヤバいものを口にする時に比べれば害もないだろう。
今は耐えろ、じきに奴らは元の世界に帰っていく。
そうすれば、僕もじきに“普通”の暮らしに戻れる……だから耐えるんだ。

「おい、娘を車に乗せろ。屋敷に戻るぞ。こうも臭ってはこの服も台無しじゃ。帰ったら車ごと
処分せねばな」
「……はっ」

さっきまで僕と彼女を乱暴に扱っていた男達のリーダーだろうか、車に乗り込む老人に向かって、
長身の体を折り曲げるように、頭を下げている。
やがて、車が走り去ると、さきほどの狂気じみた用心棒らしき男達も散り散りに去っていく。
だが、リーダー格の男は、全員が立ち去ってもまだ通りに立ち、車が走り去ったほうを、
ひたすら無言で見つめている。あるいは睨みつけているようにも見えた。
彼は一体なにを考えているのかと、男を観察してみるが、その表情からはなにも読み取れない。
これからどうしよう、背を向けて帰っても大丈夫だろうかと考えてあぐねていると、
男が車が去ったほうに視線を向けたまま、呟くように口を開いた。

「お前、名はなんという」
「……な、んだよ。なにか言ったらどうせ殴る、んだろう……?」
「そんなことはせん、今はな」
「ちっ……今日はやたら名前を聞かれる日だよ、ったく、なんなんだ。どいつもこいつも、
なんでそんなこと知りたいんだ。僕の……僕達のことなんかどうだっていいと思ってるくせに」
「ああ、どうだっていい。言いたくなければ言わなくてもいい。それはお前の自由だ」
「……自由、だって?」

その言葉と、意味も知っていた。
けれども、その言葉を使える身分ではないことも身に沁みて知っていた僕は、男がなぜそのような
言葉を僕なんかに伝えるのか、意図がまるで理解できない。

「どうした、自由の意味が分からんのか」
「馬鹿にすんな、それぐらい知ってる。僕はロキだ。覚えとけ」
「そうか、いい名だ」
「お世辞はいらないよ。それよりどうしてあのジジ……あ」
「構わん、続けろ」
「……どうしてあのジジイと一緒に帰らないんだよ。こんな場所、アンタ達みたいな人間に
とっちゃ、居たくない場所じゃないのかよ」
「居たいか否かで言えば、好んで居たいとは思わん。だが、俺にはまだ仕事が残ってるんでな」
「……仕事って?」
「命は大切にするものだぞ」
「知ってる」
「そうか。では“知らないほうが良いこともある”、これも覚えておけ」
「そんなにペラペラ話していいのかよ、僕が誰かにアンタ達の話をするとか思わないのか」
「話されて困ることは、まだなにもしていないが」
「あ……もー。分かった、これ以上は聞かない、それでいいんだろ。こんな僕でも、今はまだ
死にたくないしね」
「なぜ、そう思う」
「まぁアンタ達は、僕達なんか一人でも多く消えてほしいだろうけど」
「……いや」
「夢が、あるんだ」
「夢……だと?」
「なんだよ、夢を見ちゃいけないってのか。あぁそうだよ、どうせ叶わないって知ってるよ。
でもこんな場所に住んでたって、別に夢を見るぐらい自由だろ……笑いたかったら笑えよ」
「いや、ここで暮らしてる者から『夢』などという言葉を聞いたことがなかったからな、
少し意外に感じただけだ。そう卑屈に勘繰るな」
「ふん、僕達を卑屈にさせてる、上流のアンタ達に言われたくないね」
「お前が卑屈なのは、俺達のせいだと言うのか」
「違うのかよ!」
「ガキの理屈だな。自分の不幸を誰かのせいにしているうちは、その夢とやらも叶うまい」
「くそ、言いたい放題言いやがって!!」
「俺に喧嘩を売る気ならやめておけ。夢が叶わないどころか、見ることもできなくなるぞ」
「どうせ……どうせ叶わないんだ。全部そう決まってるんだよ!!」
「俺はそうは思わんが。いつなにがどう転ぶか分からんのが人生。それに、初めから決まっている
ことなどあるものか」
「嘘だね。綺麗事を言うな。僕達とアンタ達の世界が、初めから違うことぐらい知ってるんだ。
それってさぁ、アンタがいう人生ってやつが、もう最初から決まってたってことじゃないのかよ」
「……」
「どうせ僕達はここで命が終わるまで生き延びるだけだ。大人だからって……上から偉そうに
言うな。僕に意見できるのは、この場所で生きてる仲間と、爺さんだけだ」
「爺さん?……名はなんと――」
「教えないよ。だって、これは僕の自由、なんだろ?」
「では、その爺さんは、どんな人間なんだ」
「どうしてそんなに気にするんだよ……あぁ、分かったよ。良い人だよ、すげぇ良い人だ。
僕をここまで育ててくれた。それに、この場所で生きていくために大事なことを、僕や仲間に
たくさん教えてくれる、すごい人さ。僕は生まれた時に捨てられたみたいだから、親なんか
知らないけど、あの人は、僕の“親”なんだ」
「……そうか」
「そうさ、もういいだろ?」
「では、お前が死ねば、爺さんは哀しむのだろうな」
「どうかな。そりゃあ爺さんは哀しんでくれるだろうけど、ワケマエが増えるからって喜ぶ
奴のほうがきっと多いだろうね」
「――だが、自分の死を哀しむ者が一人でも居ると感じるなら、さっきのように命を粗末に
するような真似はしないことだ」
「……はっ、余計なお世話だね。夢があるって言ったろ。アンタに言われなくても生きるよ」
「そうか。……それではな」

男はそれだけ言うと、不意に話を切り上げ、夜の闇の中に消えていった。
僕も追いかけてまで話を続ける理由が見つからなかったから、黙って見送った。
でも、アイツ、爺さんのことを“人間”って言った。ただの言葉のあやかもしれない、けど。
獣だとか、物扱いするような言い方も“匂い”も感じなかった。
さっきのジジイは、“ハクアイシュギシャ”だなんだと言っていたが、明らかにこの場所と
僕を見下していた。それぐらい、子どもの僕にだって分かるさ。
だって、そういう連中には、特有の“匂い”みたいなものがあるから。
でもアイツにはそれが――。アイツは一体……?

それから数日が過ぎた頃。
あの下卑た老人の言葉どおり、僕は老人の屋敷へと連れていかれることになった。
僕がどれだけ嫌がろうと、仲間達は連中を怯え、奴らを止めようという者は誰もいない。
長生きしたければ余計なことに首を突っ込まないのが、ここに住まう者の処世術なのだと
分かってはいても、少しだけ悲しかった。
誰も僕と目を合わせようとしない中、爺さんだけが心配そうな顔をして、僕を見送っていた。

作品紹介

『ぬくもりのうた』(未発表)
詞のイメージ・ストーリー

製作:2012年

佐々木 聡太郎

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