この国はまだ豊からしい。
なんの問題もなく食べられるものを、平気で廃棄処分するくらいには。
けれど、皮肉にもその現実が、飽食の世界の裏側で細々と生きる僕達の日々と、命を繋いでいる。
それに食べ物だけじゃなく、まだ使える衣服や物なども勿体ないことに(僕達には有難いことに)
たくさん捨てられているので、それらも僕達が生活する上で欠かせない大切なものになっている。
「腹減ったぁ……今日はなにがあるんだろ。なにか掘り出し物があるといいんだけど」
山のように捨てられたそれらの中にも、まだ口にできる物と、そうでないものがある。
そうでないものを口にすれば、体力のない人間はすぐに病気にかかってしまう。
医者にかかる金のない僕達にとって、それは死活問題だ。
だからこそ大丈夫なものとそうでないものを分別して持ち帰ることは、とても重要な仕事だった。
ちなみに、この仕事が僕のように少し大きくなった子どもの役割と決められていた理由は、
危険な奴に見つかった時に、逃げ足の早さが役に立つためだ。
大人達も痩せてはいるけれど、身軽であることとは意味が大きく違う。
まともに栄養を摂れていない体では逃げる体力もすぐに尽きるため、捕まる確率も高い。
だから、僕のような比較的健康な子どもが、色んな場所でこうして“獲物”を漁っているわけだ。
僕はつい最近、十三歳になり、この仕事を与えられたばかりだった。
もちろん初めは抵抗があったが、生き延びるためと思えば、案外すぐに気にならなくなった。
そして今日も、いつものようにその山に手を突っ込み、まだ大丈夫そうなものを夢中で探した。
でも、今日は雨も降っているし、あまり濡れると体によくない。
ある程度持ち帰れるものを見繕ったら、少し早めに切り上げるつもりでいた。
そのはず、だったのだが……。
「……なにを、しているの?」
背後から不意に、誰かの声が聞こえてきた。僕は、声の主を確かめるべく素早く振り向く。
何度も言うが、相手が危険な奴なら、素早く逃げなければならないからだ。
けれど、僕の想像に反して、というよりも、想像を超えた景色がそこにはあった。
高価そうな服に身を包んだ、まるで人形のように美しい少女が、路地の入口に一人立ち、
僕を見つめていた。白く華奢な手には豪華な刺繍の入った傘を持っている。
歳は僕と同じくらい、か。
だが、どう考えてもこの場所には似合わない種類の人間だ、と思った。
こんな場所にいることはもちろん、ここで見知らぬ人間に声をかけるという行為がどれくらい
危険なことかまるで理解していない、あまりにも無防備すぎる少女の振る舞いが、この場所に
住まう人間ではないことをはっきり物語っている。
それだけでも愉快な気分にはなれないのに、あげく、僕のような下層の人間に声をかけて、
そしてただ静かに見つめてくる穏やかな少女の目に、なぜだか僕は無性に苛立ちを覚えた。
その感情が下層の人間特有の劣等感で、見ず知らずの少女に向けるべきものではないことを、
頭ではよく理解しているつもりだった。
けれども、住む世界が違うとはいえ、僕と同じもので出来ているはずの人間達に理由なく
見下されることをすんなり受け容れられるほどの寛容な心も、持ち合わせてはいなかった。
「おい……お前みたいなのがどうしてこんな所をうろついてる。痛い目に遭いたくなかったら、
早く消えろ!」
僕は声を低くして威嚇するように警告した。
僕には少女を痛い目に遭わせる気など、少しもない。
問題なのは今彼女がここにいること。
いつどんな事に巻き込まれないとも限らない、この場所に。
そういう意味を含めた警告のつもりで、僕は必要以上に脅しをかけたつもりだった。
しかし、彼女は微動だにせず、目が合った時のまま、こちらを見つめ返しているだけ。
やがて、ゆっくりとした動作で歩き出しながら、まだ僕に向かってなにかを話し始める。
「汚れているけど……きれいな顔、その髪もきれい。あなたならここを出られるかもしれない」
「汚くて悪かったな。それに、なんだよ。ここから出られるって。僕を助けるとでも言うのか?
お前、自分を何様だとおも――」
「一緒に、いこう?」
僕の怒りをその一言で遮り、振る舞いは無防備なまま近づいてきて、そして僕の汚れた手に触れた。
彼女のその手は――温かかった。
そういえば、誰かに触れるのも、触れられるのも、いつ以来だったろう。
その上、こんなにも寒い雨の夜なのに、いや、むしろそうだったからなのだろうか。
ほんの一瞬、その手のぬくもりをはっきりと感じてしまった僕は、急に自分でも意味の分からない
不安と焦燥感に駆られて、乱暴にその手を振り払った。
「……あ」
「さ、触るな!!…あ、ごめ…いや、じゃなくて!僕に近づくな!…その綺麗な服だって汚れ
ちまうんだぞ。何度も言うけど、ここはお前みたいなのが来る場所じゃないって言ってるんだ、
早く帰れって!!」
「アウラ」
「……はぁ?」
「私の名前。あなたは?」
「僕達の世界じゃ、名前なんてどうでもいい。それにお前に教える筋合いもない」
「……お金が必要?」
「ば、馬鹿にするな!!くそ、名前でもなんでも教えてやるよ、ロキだ、ロキ!」
「ロキ、そう……ロキ。そらを、旅する――」
「……なんだって?」
僕が吐き捨てるように自分の名前を口にすると、彼女はそれを大切に呑み込むように何度も
僕の名前を呟きながら、わけの分からないことを言っている。
まったく、どうかしている。彼女も彼女だけど、僕も僕だ。
いつも僕達を見下している種類の人間にあっさり乗せられて、名前まで教えるだなんて。
でも、なぜだろう。少女はあまりその類の人間には見えなかった。
だから油断したっていうのか、それが命取りになることもあるというのに……?
「ごめんなさい、お金のことで、馬鹿にしたつもりはないの。でも、ああ言わないと、
きっと教えてくれないと思ったから」
「……どうして、僕なんかの名前を気にするんだ」
「知りたかった、から」
「……はぁ?」
この場所や人間を怖れない振る舞いといい、会話の噛みあわなさといい、彼女はどうやら
“普通”の感性の持ち主ではないのだろうか。まともだとしたら、かなりふざけている答えだし、
変わっているとしたら余計にここにいること自体が危ない気がする。
この子、どうすればいいんだろう……、と途方に暮れかけたとき――。
「おい、そんな汚い所でなにをしておる、帰るぞ!」
不意に通りのほうから下品なしゃがれ声が飛んできた。
その声に反応してか、少女の細い肩がびくん、と小さく震えた。
通りに目を向けると、そこには高価そうな杖を片手に立つ老人がいる。あれが声の主か。
ずいぶんと良い身なりをしているみたいだけど、何者なんだ。彼女と関係があるのか。
僕は、次から次へと押し寄せる状況の変化に戸惑いを隠せず、彼女と老人、交互に視線を送る。
そのわずかな間にさえ苛立ったのか、老人が顎をしゃくると、明らかに荒事に長けていると
分かる男達が次々に路地へと入り込んできて、彼女の華奢な腕を掴み、物でも持つかのように
無造作に抱えあげる。
他の男に、もっと丁寧に扱え、とすぐに注意を受けていたようだが。
彼女はなにも言わず黙って、自分の身に起きていることにじっと耐えている。
彼女が抵抗したところで、なんら意味のない相手であることは明らかだし、
そうすることで自らの立場を悪化させてしまうのかもしれない……でも。
〈タ、ス、ケ、テ〉
作品紹介
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