「……ってぇ……うぐ、げほ、げほ……!」
「なんだ、その目は……おらぁっ」
不意の衝撃を感じて数秒後、少年は自分の体が宙を舞い、そのまま地面に落ちたのだと知った。
口の中に、じわりと錆びた鉄のような匂いと味が広がる。あれ、この感覚、いつかどこかで……。
数人の男達が目をぎらつかせ、殺気を隠しもせずに、それぞれ物騒なものを手に少年を取り囲む。
少年はなんとか痛みに軋む体を起こし、勝ち取ったものを懐に確認すると、その男者達を見据え
果敢に睨みつけた。
もともとは整っていただろう少年のその顔は、何度も叩き伏せられたためすっかり汚れ、
腫れあがっていて、美しいその銀色の髪も、同じく見る影はなかった。
「それくらいにしておけ、それ以上やると使いものにならなくなってしまう」
少年を取り囲む男達の背後から、長身で頬に傷のある男の抑揚のない、しかし低く通る声が響く。
今にも襲いかからんばかりの様子だった男達は、その声を聞くと忌々しげな顔を少年に向けながら、
それぞれの手に握られていた凶器を収める。
「お前もこれに懲りたら、二度とふざけた真似はするな。次は無いと思え」
「いいんですかい、旦那!!」
確かにこの状況下では、普通ならまず見逃されたりはしない。
捕えられ、今以上の酷い目にあわされ、下手をすれば……ということもあり得る。
少年は、それなりの覚悟をして、ここにやってきた。
だが意外にも、この“旦那”と呼ばれる男は、少年を見逃そうと言う。
少年にとっては幸運な話だろうが、男達からしてみれば、極めて不愉快な話に他ならないだろう。
早速、男達は口々に抗議を始めていた。
男はしばらく沈黙を保っていたが、どよめきが騒ぎへと変わろうとしたその時、突如、それらを
蹴散らすほどの迫力で一喝した。
「馬鹿者共が!!こそ泥一匹、それも屋敷で飼っている使用人に、こうも容易く盗みに入られた
ことが外に知れてしまえば、いらぬ騒ぎを呼び、当主の顔に泥を塗ることになるのが分からんか。
それに我々用心棒とてお咎めなしとはいくまい。賊を易々と屋敷に踏み込ませたのだからな。
当主は厳しいお方だ。今ならまだ我々のみで済むが、もし騒ぎが表沙汰になれば……。
さて、どのような処分が待っているか。それでも小僧を“処分”するのか」
「……く……そ、それは。マズイです、ね」
「言われてみりゃ、確かに俺たちの首も危ない、か……ちっ」
「そういうことだ。小僧。お前も今すぐに、黙って立ち去れ。そして、明日、ここへ来る時には
なにもなかったように振る舞え。言うまでもないが今夜のことは誰にも口外するな。もしすれば、
命は無いと思え」
「…わ……わわ、分かっています!!」
少年の言葉を聞くと、男は背を向けて足早に立ち去っていく。
格下の男達は不満そうに少年を睨みつけ、ちっと舌打ちをすると、急いで立ち去った男の背中を
追いかけ、その姿はじきに見えなくなった。
あの男のおかげで、少年はすぐ傍にあったかもしれない“死”という未来を免れることができた。
だが、少年にとって今のところそれは、まだ息をしている、という以上の意味を持つものとは
ならなかった。
体の芯まで凍りつきそうなほど冷たい光を放ち続ける青白い月を少年はキッと睨みつける。
土や埃は、洗い流せば落ちる。
負った傷も、そのうちに癒えていくだろう。
けれども、心の奥深くにある空虚と孤独は、いつまで経っても埋まることはない。
そう、月が夜ごとに満ちて丸くなっていくようにはいかないのだ。
少年はそのことをよく知っていたが、懐にしまい込み身を挺して庇ったものの無事を確認すると、
ようやくほっと、小さく一つだけ安堵のため息をついた。
まだ息をしていて良かったと唯一感じられる理由を、その手に大切に握りしめて。
「……よかった。これできっと彼を」
青白い月の光に照らされて、少年の手の中で鈍く光るのは、数本の薬瓶。
――それは、命を繋ぐためのもの。
「あの子、大丈夫かな……いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない、急いで帰らなきゃ!」
作品紹介
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