ぼくらの元号「戦後」
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作品情報
| ジャンル | フォーク |
|---|---|
| 参加形態 | 単独 |
| 公開 |
作品紹介
この春の、新元号発表から、令和改元のフィーバーに、違和感を覚えたのは私だけではないと思います。
改元後に、新聞にどこかの作家だったかがエッセイを書いておられました。
戦後の昭和から、平成、令和へと元号が変わっても、日本人の根底にあるのは変わらぬ「戦後」という元号だと・・・
これにはなるほどね!と同感しました。
いつまで戦後”を引きずるんだ、いい加減にしろ!と怒る人もTVで見たこともあります。
「戦後」を終戦直後の貧しく、占領下のみじめなイメージととらえるか、
戦争の終わった『平和』な時代としてのイメージでとらえるかの違いだと思いますが、
やはり後者だと思っています。
僕の母は、昭和20年には13歳の子どもでした。
今の韓国のソウルで生まれ育ち、終戦で日本内地へ引き上げるため、釜山まできて、引き上げ船の順番待ちで、小学校で3日間泊まったそうです。釜山から山口県の仙崎港へいくルートでは、約30万人が半島から内地へ引き上げたそうで。
そこで母たちの乗る船の1便前の船が、日本海で機雷にあたり沈没したそうです。母はこどもだったので、船酔いで気持ち悪いのと漠然と怖かったという記憶があるだけですが、大人たちは船で生きた心地はしなかったことでしょう。
もしも母たちの船が沈没していたら、いまのぼくは存在していない訳で、
祖父母たちが子どもたちの命を守りぬいてくれたから、僕らが生まれ
ここにいられるわけで、祖父母や両親たちが作ってきた平和な社会を
われわれの世代で壊してはいけないという覚悟が必要です。
コメント(2)
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