節穴 『A=432Hz』
- 952回再生
作品情報
| ジャンル | プログレッシブ |
|---|---|
| 参加形態 | 単独 |
| 公開 |
作品紹介
追記:
平成27年=西暦2015年5月12日(火)
『A=432Hz』に変更して楽曲を差し替えました<m(_ _)m>
追記:
平成27年=西暦2015年4月24日(金)
A=432Hzに変更するまで!楽曲のみ削除いたします<m(_ _)m>
また、甚だ余談ではありますが(*^^*)
気が向かれてお時間が赦すならば・・・
皆さんへ最近も!読んだ本の中でとても感動した箇所がありましたので
ちょっと引用して皆様にもお裾分けいたします(微笑^^!)
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・・・自分を愛する如く隣人を愛せよ。
苦しむ者に手を差しのべよ。人生に疲れた人、潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。
病の人を癒し、悲しみの人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ。
こうした訓えは昔から説かれてきた真実です。
こうしたことを実行しさえすれば地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす
戦争訪れなくなるでしょう(中略)
・・・人間も根本的には霊であり、それが肉体を使用しているのであって、
付属品として霊を宿した肉体的な存在ではないわけです。
肉体は霊に従属しているものです。
地上生活の全目的はその内在する霊に修行の場を与え、
さまざまな体験を通じてそれを育み、死によってもたらされる
肉体からの解放の時に備えて身支度させることです。
それから本当の意味での生活が始まるのです。
従って宗教とは霊が霊として本来の生活ができるように指導するための
処世訓であり道徳律であると言えます。
ところが不幸なことに、古い時代に霊の道具である霊媒と聖職者との
間に衝突が生じたのです。
聖職者の本来の仕事は聖堂や教会等、宗教的行事の執り行われる建造物の管理でした。
原初形態においては両者の関係はうまく行っておりました。
が、ある時代から聖職者の方が神示を受ける霊媒にばかり関心が向けられることを
不愉快に思いはじめました。そしてそれまでに入手した神示を資料として、
信条、儀式、祭礼、ドグマ、教説等を分類して綱領を作るという、いわゆる
神学的操作を始めたのです。今日そのどれ一つとして霊の資質や生活や発達と
実質的に関わりのあるものはありません。
かくして真の宗教の概念が今日では曖昧となってしまいました。
宗教というと何かお決まりの儀式のことを思い浮かべ、“聖典”と呼ばれているものを
読み上げることと考え、賛美歌を歌い、
特別な衣装を着ることだと考えるようになりました。
何やら難しい言説を有難く信奉し、理性的に考えれば絶対におかしいと
思いつつもなおそれにしがみつきます。
私たちはいかなる神学、いかなる教義、いかなる信仰告白文にも関心はありません。
私たちが関心をもつのは人間の霊性であり、私たちの説くこともすべて、
絶対的に従わなければならないところの霊的自然法則に向けられています。
人間のこしらえたものを崇めるわけにはいきません。
宇宙の大霊によって作られたもののみを実在として信じます。
そこに宗教の捉え方の違いの核心があります。
人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、
自分より恵まれない人へ手をさしのべること、弱き者へ力を貸してあげること、
多くの重荷に喘ぐ人の荷物を一つでも持ってあげることー
これが私たちの説く宗教です。(中略)
・・・ラベルはどうでもよいのです。形式はどうでもよいのです。
口先だけの文句はどうでもよいのです。大切なのは“行い”です。“行為”です。
つまり各人の毎日“生活”そのものです。私たちは因果律という
絶対的な摂理を説きます。
つまり誰一人としてその神の摂理のウラをかくことはできません。
ごまかすことはできません。
自分が自分の救い主であり、贖い主であり、自分の過ちには自分が
罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けると説くのです。
また、神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます。
すなわち親切、寛容、同情、奉仕の行為が自動的にそれ相応の結果をもたらして
霊性を高め、反対に利己主義、罪悪、不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。
この法則は変えようにも変えられないのです。
みっともない執行猶予も安価な赦免もありません。
霊的な小人が巨人のふりをしてもごまかせません。
死の床での悔い改めも通用しません。(中略)
・・・永遠の自然法則、絶対に狂うこともなく、過ることもない法則、
地位の高い低いに関係なくすべての存在に等しく働く法則に忠誠と感謝の念を
捧げる者です。
誰一人おろそかにされることはありません。
誰一人見落とされることはありません。
誰一人忘れ去られることはありません。
誰一人として一人ぼっちの者はいません。
法則の働きの及ばないものが神の摂理の証です。
あなたがこの世に存在しているという事実そのものが神の摂理の証です。(中略)
神の法則には新しい法則が付け加えられことは絶対にありません。
改正もありません。解釈上の変化も生じません。
いま機能している法則はこれまでずっと機能してきた法則であり、
これからも変ることなく機能していきます。
一瞬の休みもなく機能し、そして不変です。・・・
『シルバー・バーチの霊訓(三)』潮文社 近藤千雄訳より抜粋P66~P73
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石田 里佳コメント(13)
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