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私はピアノ

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作品情報

ジャンル ポップス
参加形態 単独
公開

作品紹介

追憶のハコバン音源 No.2

これはやはり80年代前半頃、ワシが向島の料亭街で「お座敷バンド」をやっていた時のものだ。
お座敷バンドと言うのは要するに「流し」のバンドで、何軒かの料亭と契約して「歌を歌いたいお客さん」とか「歌のうまい芸者さんに歌わせる」とかの時呼ばれて演奏するのだ。

最初はバンマスのギターとワシのベースとスネアのオジサンの三人組だったが、すぐにスネアのオジサンが病気で辞めて二人組になった。
このバンマスのギターは不思議なギターで、ジャズでもロックでもフュージョンでも弾いてしまう人だった。当時35~6歳だったから今はもう65~6歳かな?
当時、お座敷に出ると「1本=40分」で線香1本と言う相場だった。これは芸者さんの「花代」と一緒で1本1万5千円だった。
普段は一晩に3~4本のお座敷が掛かったので4万5千円~6万円の収入で、バンマスが6割とってワシが4割だった。
だから当時の収入は月に多い時で4~50万はざらだった。その頃ワシはまだ22~3歳だったな。

でもやってる曲は演歌が8割、1割が歌謡曲、1割がスタンダード曲だった。
スネアのオジサンが辞めたんで当時出たばかりの「リズムボックス」をバンマスが買ってきてそれに合わせて演奏するのがワシらのスタイルになった。
この頃はまだカラオケもないし、歌を歌いたいお客さんは当時「芸者の三味線」くらいしか伴奏がなかったのでわしらのような「生バンドが伴奏」と言うのは需要が多くて儲かった。
このバンマスは「元は流し」なんでお客の歌に合わせるのが異常に上手で、お客の音程があがったり下がったりするたびに「1上げ」とか「2下げ」とかキーの変更をワシに言うのだ。そうするとお客は自分の音程が狂ってるのに気がつかず気持よく歌える訳だ。
おかげでワシは異常に転調に強くなって、曲の最中だろうがどこだろうがキーが変わっても平気になった。

そんなお座敷バンドもカラオケの出現でアッと言う間にお客を失っていった。でも、カラオケが出た当初は「あんなもんじゃ歌えないよ」と言う声が多かった。なぜなら当時のオッサンはリズム音痴でカラオケの伴奏にノレなかったからだ。
でも、カラオケの普及と共に次第に仕事が減り、毎日あったお座敷が2~3日おきになり、やがては月に1~2回しか呼ばれなくなってバンマスが言った「俺もうこの仕事ヤメるわ。君もやめたほうがいいで。」
そしてワシのバンド生活は終を告げたのであった。

小林 修平

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